マキコのひとり言

〜 「ブログ」に代わる、クローネマキコのひとり言コラムを始めました。〜
  お気軽にお読み頂ければうれしいです。

ウィーンのチャリティー舞踏会から帰国、1週間の風邪、カドリールレッスン最終回とパーティー、
名称を変更、そしてHPリニューアル…

2010年5月4日
なぜこんなに時間がないのでしょう…という日々も、ウィーンと、文化と、舞踏会と、カドリールが好きという、
ただその思いだけが私を動かしているようです。
皆様は、ご自分を“突き動かす”ような何かを、お持ちですか?

京都に訪れたのは
2010年3月23日
大阪での所用の合間に、ふと、時間ができたのです。タイムリミットは、半日。
「そうだ、京都行こう。」
京阪電車で、ごとごと、宇治へと向かいました。以前、訪れたのは何年前のことだったでしょうか。
宇治川のほとりを、のんびりと歩きました。流れは、意外に、速い。
遠くを山に囲まれ、朱塗りの橋が向こうに見える。ああ、京都に来たのだと、ふっと、力が抜ける時間です。

そして、1000年近くを池の前に佇んできた、平等院や、その裏にある羅漢像の姿に、心が洗われるようでした。
また、明日から仕事をがんばろう、と思えたのでした。
京都へ行って、本当によかった。

祖母が他界

2010年3月1日
かねてから入院していた祖母を2月初めに病院へお見舞いし、「私がウィーンから帰ってくるまで、お願いだから
待っててね…」と、手をさすってきた祖母が、先週、亡くなりました。
葬儀には間に合ったけれど、四十九日の法要の日は、私は再びウィーンなのです。
けれども、きっと、私の仕事を、祖母は理解してくれると信じております。

ミサに参列
2010年2月20日
ハプスブルグ家の方々や近しい方たちに混じって、追悼のカトリックミサに参列いたしました。
特に新聞などで一般にお知らせされていないそうです。
歴代のハプスブルグ家の遺体が安置されている、カプツィーナー教会に入ると、
正面まん中に、ハプスブルグ家の紋章がかけられた棺がありました。
世が世なら、の方の追悼は、極めて、質素だったのです。

ハプスブルグ家に関するニュース
2010年2月4日
昨日、ウィーンの貴族である友人より、メールが届きました、
「今日、オットー・フォン・ハプスブルグ殿下(ハプスブルグ帝国最後の皇太子)の妻である、
レギーナ・フォン・ハプスブルグ=ロートリンゲン殿下が亡くなったのだよ。」と。


友人の家では、お祖父さま、お父様共に、ハプスブルグ家の方々との親交があり、私も
オットー殿下がウィーンにいらっしゃった時に、紹介して頂いたことがありました。
感動的な経験でした。
奥様のご冥福をお祈りするとともに、もう百歳近いオットー殿下が、少しでも
長生きして頂きたいと心から祈っております。


パーティー参加レポート

2010年2月3日

昨日、日本に住む外国人の方々が主にメンバーとなっているある会の、会合に
ゲストとして参加させて頂きました。場所は、某国大使館。その大使が「大使としての
仕事」についてレクチャーをされました。

続く立食パーティーでは、久々に英語を話すと、どうしましょう、口が回らなくなっています…
今週末からウィーンで、通訳やらお仕事にばんばん英語を話さなければならないというのに。

乾杯の音頭は、高円宮妃が取られました。
知り合いが妃殿下と親しいのですがなかなかご紹介頂くチャンスがないまま、
それでも日本人、外国人ともに色々な方とお話しができましたのは楽しい夕べでした。
私も会員になろうかしら?


ウィーンへ行って参ります
2010年1月30日
ウィーンは現在、舞踏会シーズンまっさかり!
今年、クライネ・クローネより舞踏会に参加されるのは、数名の方々。
クローネマキコも、オペラ座舞踏会含め、4つの舞踏会に参加してきます。

ドレスは、昨年の秋にウィーンで購入した、“初めてのグリーン”。
お直しに出して、現地の友人が預かってくれています。受け取るのが楽しみです。
もう1枚は、ナイショナイショ。

「オスカル」のこと
2009年8月28日
たまたまNHKで目にした番組に、思わず目を留めました… 「ベルばら」を題材に、現代に生きる
“派遣社員”の物語なのですね。
例えば、自分の投げたゴミすら自分で拾おうとしない写真に、「自由と、平等と…じゃなかった、人としての常識と
モラルとマナーとで、自分で拾いなさいよ!」とつめよる、主人公。

また、場面のあちこちに登場する、「ベルばら」の中のシーン、オスカルやマリー・アントワネットたちのセリフ…。

まさに、子供だった私の心にも大きな衝撃を与えてくれた、「ベルばら」がまた復活するようで、懐かしくもうれしく
番組を見ていました。

ちなみに、私も劇画を読み宝塚を観て、その宝塚の公演レコード(当時はDVDとかなかったですからね)を、ステレオの
スピーカーに耳をひっつけて聞き、当時はほとんどのセリフを覚えてしまっていました… 中でもどのセリフが
お気に入りだったか? それは、内緒です。

皆様の、“思い出のストーリー”や“シーン”は、何でしょうか。